はじまり、はじまり。

26年の脚本家人生の中で、一度も描いたことの無かったシーンってのはあるものだ。そのひとつが「医者から余命を告げられる」というシーン。生きていく上での人生の分岐点、いや、分岐点どころか人生の幕引きにも繋がるそんな大事なシーンにおいて、どのような会話の流れの中で医師は語り、患者は受け止め、そこに看護師はいるのか?家族はいるのか?それを想像し、物語として描き、役者に渡したセリフをシーンにする・・・それがオイラが今までやって来たお仕事「演劇」である。

しかし、つい先週、1月19日にオイラの目の前で起きた「医者から余命を告げられる」という出来事には何の脚本もなく、ドッキリ用のカメラが仕込まれているわけでもなく、そこにあるのは、オイラの身体の中で起こっている事実であり、現実であり、担当の医師からそのことを聞くことになったのだ。

と、ここまで一気にお読みいただいた皆様の中には「これは一体何の話なのか?」「また始まった本田さんの悪いジョーク?」「笑う準備して読み進めばいいの?」「どうなの?」そんなふうにお思いの方もいらっしゃると思います。

ちょっとポップな前振りが長くなったかもしれません。オイラの執筆スタイルの悪い癖です。最初に不安な気持ちにしたくない。導入部分はせめて明るく入りたい。それも分かって頂いた上で、ここからはより、大事なことをお伝えします。

私自身、すい臓癌と戦って来たこの4年間でした。

直ぐにピンと来た人、来ない人もいるかと思います。がんの中でも特に厄介なのがこのすい臓がん。極めて進行が早く、早期発見が難しいがん。見つかった時点で手遅れということをよく耳にしますし、転移や再発も非常にしやすい。俗にいう5年生存率を数字で表すのならば、8%未満という、不治の病とよく形容される病気。そんなすい癌とここ4年間、オイラは向き合っていました。

「君の膵臓をたべたい」ですね、2015年に小説や映画で話題になった略して「キミスイ」っていうんですか?ただ、あんなふうに高校生の爽やかな余命いくばくもない青春ドラマはそこにはなく、その当時、43歳のオッサンが事実として突きつけられた病名、それが「すい臓癌」でした。

その時のオイラの話を続けます。幸い、転移もなく、手術もできることが分かり、少しでも前向きに自分の置かれている状況を皆さんにお伝えしたいという一心で、SNSを通じて癌であることをお伝えしたのが2017年4月22日のことでした。この時、この写真にこう思いを添えました。

「今回、皆さんにお伝えしたのには訳があります。これから癌と向き合いながら歩いていく私、本田誠人を、包み隠さずに知っていて欲しいと思ったからです。皆さんにお知らせしちゃったことでご心配をおかけするとは思いますが、とにかくなんか、隠したくなかったんですよね。(中略)どうぞ皆さま、新たなスタートラインに立った私、本田誠人をこれからもよろしくお願い致します!」

この時の「包み隠さずに知っていて欲しいと思ったから」という気持ちが全てです。しかし、知る側と知らされる側との温度差というのもあるのも事実だと思います。

「本田さんのそんな状況、知りたくなかった」

「知らずに作品に触れたかった」

その気持ちも分からなくはありませんが、オイラ自身、表現活動をしていく中で、それも踏まえた上での作品作りというのが自分自身に置かれた状況の中で大事にしていた所がありました。そして今回、余命宣告を受けたという事実の中で、残された自分自身を、本田誠人をどう表現していくのか?という自分自身に与えられた宿題に向き合う中で、今回もまたみなさんに包み隠さずに、この事実を知って頂いた上で、これからの創作活動を続けて行きたい、発信して行きたいと思っての、今日のこの発表になります。

ここまでお読みになられて、中には未だ「っていうお芝居?」「そういう脚本を本田さんがここに書くの?」とお思いになっている方がいらっしゃるかもしれません。「え?さすがにもういない?」オイラのこういうライトノベルな文面がそう思わせてしまうのだろうなという、反省の反面、重苦しくはしたくない、その気持ちがオイラの指のタッチを軽くしてくれてもいる。とにかく!いきなりで驚かせてしまったかもしれないけど、重っ苦しい話ばかりはゴメンだ!少しでも明るく行きたい!そう思っています。

今回、余命宣告を受けて、残されたその時間の中で、何を自分の中でどう表現して行くのかと考えた時に、日々の思いをこうやって文字にすることを改めて大事にしたいと思い、心機一転、このブログを立ち上げました。タイトルもいろいろ悩みました。落ち着いたのは「余った命、一日一笑」またこれから書いて行きますが、オイラの癌自体、見つかったことが本当に本当に奇跡。その中で告げられた「余命宣告」は正に【余った命】って言葉がピッタリなんだと、そう思います。そして「一日一笑」これはね、今年2021年の自分の中でのコッソリとした裏テーマにしようと思っていてね、って言いながら、タイトルにしてるし、何ならペテカンの四條と濱田、そしてシンガーソングライターの井上侑ちゃんが静岡でやっているラジオ番組『ミドラン』の2021年新年一発目の放送にゲストで出させてもらった時にも話しているから、尚のことではあるんだけど、オイラ自身気に入ってる言葉でね「一日一笑」一日の中で、一回くらいは笑おうぜ。ってな感じなんだけど、オイラにはもうひとつあって、自ら笑うよりも「一日一度は誰かを笑わせるぜ」っていうね、そういう目標も込めての言葉。それが身近にいる奥さんであったり、子供たちであったりするんだろうけど、せっかくこのブログでの表現方法もあるので、オイラの文章を読んで、どっかで誰かがクスッとしてくれたら嬉しいったらありゃしない。それが例えば、毎日嫌なこと続きの人だったり、コロナの状況で暫く笑うことを忘れちゃってた人だったり、何なら同じ病と闘ってる人かもしれないし、あぁ、もうそれ最高。考えただけでこっちが嬉しくなる、ワクワクしちゃう。そんな思いも繋がって。読み方としては「いちにちひとわらい」でもいいし「いちにちいっしょう」でもいい。とにかく、「一日一笑」を【一生】これからもずっと繰り返して、積み重ねて行きたい、生きたい。そう思っている。

さぁ、今日はここまで。まだまだ書くべきこと、伝えたいことあるけれど、まぁ、焦らない焦らない。いやいやその告知を受けた余命の具体的な数字によっては急いだ方がいいんじゃないの?そんな声も聞こえて来そうだけど、そんな簡単にくたばらないから!マジでさぁ、マジでマジで!表現者、本田誠人として、ペテカンで、ユニット「あんてな」で、東京で宮崎でやりたいこと、まだまだ残ってるし、オイラがおらんと始まらんことってめちゃくちゃあるのよ!やりかけているお仕事もたくさんあるし、これから挑戦していくことも、決まっていることもたくさんあってさ。そしてもっと言えば、三人の子供達に対して、父として、伝えないといけないことも山ほどあって、本当にそう簡単にくたばってる場合じゃないのよ!!!

今日、2021年1月25日を新たな一歩を踏み出す日に選んだのには大きな理由がある。昨年誕生した我が家の第三子、かわいくてかわいくてたまんない本田晴(ほんだはる)君の一才の誕生日。オイラにとってはつかまり立ちから必死にアンヨを一歩踏み出そうとしている息子と同じように、正に一歩を踏み出した。今日は特別な一歩が重なった、大事な大事な記念日。

今日から始まったこのブログ「余った命、一日一笑」自分の病状をね、ちゃんと見つめながら、無理のない範囲でまた書き進めて行きたいと思っています。なので、皆さんも気楽にさ、フラットさ「あいつ元気にしちょるかえ?」って、会いに来て欲しい。そしてこそっと応援して欲しい。どうぞ、これからもよろしく。

★追記:オープンしたて、不慣れな新規ブログでコメントやメッセージなど、どのように受付、表記して行くか検討しながら進めてまいります。ご不便お掛けすることもあるかと思いますがご了承ください。